「もう野球を辞めようかと」オリックス戦力外、中川颯にかかってきた1本の電話…“ハマのサブマリン”が誕生するまで

bandicam 2023-11-29 15-40-55-609

123: 名無しさん 24/03/11(月) 11:04:50 ID:AZ.zf.L49

 神奈川県横浜市出身。地元の名門である桐光学園高校でプレーをすると、立教大学へ進学。2020年のドラフト会議でオリックス・バファローズに4位指名され入団するのだが、所属した3年間で一軍登板をしたのはルーキーイヤーの1回きり。2年目は肩の不調により登板機会に恵まれず、シーズン終了後に育成契約になると、3年目は支配下復帰することは叶わず、オリックスを自由契約となり退団している。ハードラックな3年間だった。

「退団後、じつはもう野球を辞めようかとも思っていたんです……」
 普段は朗らかで優しい表情が印象的な中川の眉間に皺がよる。当時のことを脳裏で反芻しているようだった。
 この数年のオリックスといえば、連覇を重ねている黄金時代の真っ只中。“投手王国”と呼ばれるピッチャー陣の層は厚く、中川にとって大きな壁となった。とくに3年目はウエスタン・リーグで中継ぎとして21試合を投げ防御率1.38、WHIP(1イニングで何人の走者を許したか)は0.67という好成績を挙げていても、一軍から声が掛かることはなかった。見上げても光が射してこないファーム生活は骨身に染みた。
「自分の実力不足といえばそれまでですが、ファームにずっといるとメンタル的につらくて、モチベーションを保つのが難しかったというのは正直ありました。いいピッチングをして抑えていても、チーム状況もあって上から呼んでもらえない。どうしたら上がれるのか、そんなことばかり考えてしまって……」
 自由契約となり、好きな野球を手放すことを呆然と考えていたある日、携帯が鳴った。出るとDeNAのスカウト部スカウティングディレクターの河原隆一(現・プロスカウティングディレクター)だった。
「一緒にやらないか」
 単刀直入に河原ディレクターは言った。その言葉を聞いたとき、消えかけていた心の炎が音を立て爆ぜた。中川にとって地元球団であるベイスターズは、幼少期に憧れをもって見つめていたチームだ。家族と一緒に応援をしに横浜スタジアムへ足しげく通い、少年野球で使っていたグローブは石井琢朗モデルだった。
「じつは小学生のときにベイスターズジュニアの試験に落ちていて、あのユニフォームで野球ができるんだと思ったら信じられなかったし、かつての夢が叶うんだって。誤解を恐れずに言えば、このチームで終われるのならば本望だって」

全文は上記リンク元より(お薦め)

野球辞めるつもりやったんかい
本当にうちに来てくれてありがとう

140: 名無しさん 24/03/11(月) 11:16:05 ID:ti.nn.L10
颯くん(*;◯;*)


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Source: ベイスターズ速報@なんJ

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