元オリ・葛城育郎「石毛にフォームを弄られ打撃不振に」「約束を破られ2軍に落とされた」

転載元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1696055797/

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1: それでも動く名無し 2023/09/30(土) 15:36:37.34 ID:VFnK8wRu0
https://news.yahoo.co.jp/articles/1bce24b42dc5ae7f5cc2a35d8eee859883199ea5
何ともむなしい結果だった。2002年シーズン、プロ3年目のオリックス・葛城育郎外野手(現、株式会社葛城代表取締役、報徳学園コーチ)は
成績が大幅にダウンにした。2年目に14本塁打を放ち、順調にプロの階段を上がったのが一転、3年目はわずか1本塁打に終わった。

この年に監督に就任した石毛宏典氏から打撃フォームの変更を命じられ、うまくいかなかった。合わなかった。
あまりの急降下ぶりに大先輩からも心配されたという。

2年目に14本塁打をマークし、さらなる飛躍を期していた葛城氏の“流れ”が変わったのは2002年宮古島キャンプ終盤だった。
「キャンプもラスト2クールになった頃、石毛さんに『今のお前の打ち方は駄目だ。打ち方を変えろ』って言われたんです」。
2年目に結果を出したオープンスタンスなどに駄目出しされたという。指示に従ったが、結果が出なかった。
「オープン戦は1割くらいしか打てなかった。これではやばいと思った」。  

自分の感覚を取り戻すためにフォームを少しずつ戻していったが、石毛監督からは再び「今のままじゃお前の先はない」と言われ、迷走状態に。
「1軍にいながらミニキャンプをすると言われて『また打てなくなると思います。
それで結果が出なくて2軍に落とされるのは嫌です』と伝えたら『絶対落とさん、そんなことはせん』って。それで『わかりました、やります』となったんですけどね……」。  

予想通り、うまくいかなかった。「で、打てないからバントのサインが出たんです。なんでやねんって思いました。
僕、それまでバント練習をしてなかったんです。それならちゃんとやらせてほしいと思いながら
失敗して、ヘルメットをガーンって投げて、ベンチをガーンと蹴って、その態度に『何やお前は』ってなって次の日からファームです。
『落とさないって言いましたよね』って言いにいったんですけど『態度が気に食わん』って言われて……」。

4: それでも動く名無し 2023/09/30(土) 15:41:46.41 ID:eU52XSkZ0
ポレ石毛は広岡イズムの後継者やからな
90年代以降広岡が監督やってたらああなってたいうのを如実に表してる

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Source: なんじぇいスタジアム@なんJまとめ

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