転載元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1681135168/
22年春、北広島市役所に就職。毎日、日本ハムの新球場「エスコンフィールド北海道」を見上げながら通勤する。大勢のファンが詰めかけているが「僕は行かないって決めた。プロになってから。もちろん行きたいのはファイターズですし、みんな応援してくれると思うんですけど、選んでくれるところが他にあるなら。(プロ入りは)ちっちゃい頃からの夢だったので、どこでも行きます」。公務員からのプロ入りは、1971年に相模原市役所からドラフト外で大洋(現DeNA)に入団した高木由一氏のケースがあるが、もし指名されれば北海道関連選手では初の快挙だ。
江別市出身で、大麻高では2年秋から1番を背負ったが、3年春の札幌支部大会中に右腕を疲労骨折。「そんなに影響ないって言われて投げていたんですけど、夏の大会の1週間前の練習試合でバキって折れて…」。最後の夏はベンチ入りこそしたものの、右肘を包帯でつったまま、仲間が支部予選で敗れ去る姿を見届けるしかなかった。当時の球速は「出て130キロ。125キロくらい」。両親の希望もあり、猛勉強の末に国立の小樽商大へ現役で合格した。
悲運のエースは小樽商大で飛躍的に成長を遂げた。1年の冬からウエートなどを中心とした筋トレに励み、翌春には体重が10キロ増え、90キロ。一回り大きくなった。それに伴い、球速も140キロ台に突入した。3年時はコロナ禍で思うような練習ができなかったが、4年になるとオリックスの山本由伸投手(24)のトレーニング法を取り入れた。ジャベブリックスロー(やり投げ練習)を敢行したり、「キレダス」などのサポート器具を使ってフォームを改良。「ボール以外で投げると、手先だけじゃ投げられない。体全体で投げる感覚をつかめた」と、球速もさらに7キロ増して147キロとなった。
就職と同時に、ウイン北広島に加入。昨季、前人未到の二刀流に挑戦し、ポテンシャルが開花した。チームの全体練習は、毎週水曜と週末の早朝5時から、札幌日大高のグラウンドで行っているが、早川はさらに火曜と木曜の早朝にも同校グラウンドを借り、単独で走り込みなどのトレーニングに汗を流してから仕事に向かう。さらに体重管理のために週に3、4回はジムに通うなどストイックに体づくりに励んでいる。今年はクラブ創設30周年の節目。発足時から監督を務める中村薫監督(68)は「彼は練習の虫。地元(日本ハム)に行ってくれれば最高」。クラブ初のプロ入りに期待を寄せる。
5月20日には都市対抗野球北海道地区予選が開幕する。今春は硬式に専念し、4年ぶりの2次予選進出を狙う。「まずは企業チームの一角を崩して2次に行って、そこでもちゃんと、自分のやってきたことを出す。通用しないってことはない。調整してなんとかやっていきたい」。秋のドラフトまでに実績を積み上げる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/74810c1af7e0892601f6d0d6e30e84fae5f7fecb
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Source: なんじぇいスタジアム@なんJまとめ