https://news.yahoo.co.jp/articles/3960f769e0bfe978d1d668badd8a3954f6d5b74f?page=3
■ガダルカナルとインパールの悲劇
これはなにも、エスコンの問題だけではない。こうした失態は80年以上前から日本に巣くう問題なのかもしれない。
さかのぼること81年前の1942年8月。太平洋戦争のさなか、ソロモン諸島のガダルカナル島で、日本軍とアメリカ軍との激しい戦闘が始まった。先遣隊900人、6000人と逐次島に送られ上陸した将兵は、最終的に3万人を超えたものの、翌年2月まで半年間続いた戦闘は、米軍の勝利で終わり、日本軍の戦死者は約2万2000人にも及び、その多くは、補給のない状態での餓死や病死で命を落としたという(以下、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』参照)。
敗因には、米軍の規模を過小評価するなど情報誤認と甘い見積りにより、増援部隊が逐次投入となり、兵器や食糧などの補給体制は欠けていたことが挙げられる。
加えて、指揮系統の混乱や組織の対立で、意思決定が先送りされ、その間にも前線では多くの命が失われることになった。
1944年3月に開始され、ビルマから国境を越えてインド北東部のインパール占領をもくろんだインパール作戦においても、本部や司令官の認識の甘さや判断の遅れにより、補給が途絶し、感染症や豪雨も重なり、日本軍の戦死者は、約3万5000人に達したという。
ガダルカナルやインパールでの戦いを、令和の時代の球場と比較するのは筋違いだろう。しかし、アクセスや入退場時の混乱を過小評価するという致命的なミスを日本人が繰り返していることに違いはない。バスや電車の増発などで逐次対応するものの、根本的な解決には至っていないという現在のエスコンの問題と、重なる部分が多くはないだろうか。
WBC世界一の余韻が残るなか、世界最先端のボールパークが北海道に誕生した。天然芝で温泉やサウナ観戦もできる素晴らしいスタジアムながら、アクセスが最悪で大混乱が続く。
甘く楽観的な見通しの下、箱ものだけ作り満足、現場や顧客軽視、アクセスに関しては見切り発車、など、戦中から令和の時代に至るまで変わらない日本の組織や社会の弊害の象徴なのかもしれない。エスコンの早急なアクセス改善は望めないとみられるが、時間を浪費し混雑や行列の犠牲になるのはファンだ。
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Source: ファイターズ王国@日ハムまとめブログ