東大野球部史上6人目のプロ入りを果たし、2
017年に日本ハムに入団した際には「文武両道左腕」として大きな話題を呼んだ。
引退後の去就についても大きな注目が集まる中、宮台本人は何を思うのか。直撃した。
――まずはプロ生活お疲れさまでした。今の率直な心境は
宮台 ありがとうございます。
率直に、結果を残せなくて悔しいです。ただ、やり切った気持ちはあります。
――プロ5年間はあっという間だったか、長かったか
宮台 長かったですね。5年間ですから。 ――同期入団の怪物と称された清宮(ドラフト1位)と並び、東大卒左腕は大きな話題となった
宮台 自分と違って(入団前に)実績を残してプロ入りした選手ですし、経緯なども違うので。
ただ、清宮は取材時も、グラウンドでも、プライベートでも全部同じ「清宮」で、全部が素。
文句やグチなどを吐いたりしないし、汚い言葉も使わない。
なかなかできることじゃないですし、本当にすごいなと思いました。
他の選手で言うと斎藤佑樹さんもそんな感じでしたね。
――引退の報告はしたか
宮台 はい、同期だけのグループLINEがあるのでそこで報告をして「お疲れさま」と連絡をもらいました
――親交の深かった選手などは誰か
宮台 今井(順之助)ですね。お笑い好きという共通の趣味があって仲が良かったんです。
そんな今井が先に引退して…。
自分より若い選手が引退するという事で「最期」に対する現実味も増しました。
――現実味という言葉もあったが、引退を意識したのはいつごろからか
宮台 自分の場合は2年目の終わりにはすでに意識していました。
特に日本ハム時代は3年間二軍暮らしが続いていましたし、ファームでも結果を残せていませんでしたから。
2年目以降、毎年オフになると「来年も続けるかどうか」を考えていました。
そんな中で日本ハムを戦力外になり、トライアウトを受けて、ヤクルトから2回目のチャンスをいただいたので、頑張ってみよう、と。
――ヤクルト入団後にお世話になった方は
宮台 坂本(光士郎=現ロッテ)さんですね。
年も1個上で近かったので、よくキャッチボールも一緒にやってもらいましたし、いろいろと技術的なアドバイスなどもいただきました。
あとは石川(雅規)さんも二軍で調整中の時などは質問させてもらいました。
あの方は生き字引のような存在なので。自分は投げる時に力んでしまうので、力の抜き方のコツなども教わりました。
モノにできなかったのが申し訳ないですが…。
――チームはリーグ連覇、昨年は日本一にも輝いたが、どんな心境だったか
宮台 去年はチームの戦力としてあの場に立てなかったことを悔しく思いながら見ていましたが、今年はまた違う見方ですね。
違ってなければいけないと思うんですが…。
これから時間がたっていくにつれて、プロ野球選手じゃない立場としての見方にも変わっていくんだろうな、と今は思います。
――今後やってみたいことは
宮台 まだ何も決まっていないですが、まずは野球以外のことに挑戦してみたいと思っています。
野球一筋でしたし、自分にとって野球以外のことはすべて勉強。
逆に就職のことについて、こっちが取材したいくらいです(笑い)。
これまで野球以外に特にやりたいことや夢などもなかったので、そういった意味からも、こういうことにつながってると思います。
――将来的に野球界には関わりたい
宮台 関わりたいですね。 ――母校などの指導者としても期待される 宮台 それはまだまだです。母校への恩返しなどはすべてのことをやり終えて、やりつくした後に最後にする恩返しだと思うので。
自分はまだまだ勉強することがたくさんありますから。
――今後の夢などは
宮台 お笑いライブに行ってみたいです。お笑いが大好きで、M―1に優勝してから霜降り明星さんのファンで。年も近いのでワードセンスなどに共感できるんです。現役期間中は一度も行ってないので…。小さな夢ですね(笑い)。(インタビュー・熊沢航平)
12/17(土) 10:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/37b720853d1cac1a194f0aff2218a8906be7ce7c
コントロールがなあ
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Source: ファイターズ王国@日ハムまとめブログ