転載元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1632951248/
中田もその年、開幕から25打席連続無安打と不振に陥り、4番の重圧と戦っていた。
「当時の翔はベンチにいる間もうつむきがちだったし、顔に噴き出ものは出るわ、口のなかには口内炎ができたり。見ているこっちも気の毒になるぐらい。それに比べたら、佐藤輝は常に毅然としている。もちろん胸中は穏やかじゃないだろうけど、それが表に出るような雰囲気は一切感じない」
苦悩の胸の内を周囲に悟られることなく、たとえ不振が続く中でも堂々とした姿勢はやはりプロ向き。ただ者ではないハートを持っているというわけだ。
今やヤクルトの4番に成長した村上宗隆内野手(21)にも起用に〝痛み〟を伴った時期があった。日本人野手最多の184三振を喫した一方で36本塁打を放ち頭角を現した19年だ。
ヤクルト関係者も「あの年、ムネ(村上)は一塁、三塁でかなりエラーをした(15)し、記録に表れないものも含めれば『村上の守備で落とした』試合もそれなりの数があったと思う。そんな守備も年々上達して、打つほうがさらにすごみを増してきてっていうのが去年とか、今年。要は弱点を年々克服して、長所は伸ばしてっていう理想的に成長する姿を毎年、見せてくれている」と述懐する。チームを挙げて、忍耐の積み重ねで花開いた成功例は虎の怪物にもリンクする。
華々しくスタートを切ったプロ1年目の終盤、分厚い壁にブチ当たった佐藤輝。球史に残るこの屈辱は、チームの看板を背負って立つために必要な〝肥やし〟だった。そう振り返るためにも、今の佐藤輝に求められるのは、とにかく振り続けることなのかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a5fe39e2a122b5bde8257cfeffdcc6dabd709e4
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Source: なんじぇいスタジアム@なんJまとめ