大島さんは大分・中津工から1969年にドラフト3位で中日に入団。88年には日本ハムに移籍し、44歳まで現役を続けた。26年間で通算2204安打、382本塁打を記録。引退後は2000~02年には日本ハムで監督を務め、東京中日スポーツ、NHKで野球評論家としても活躍した。
大分弁で「負けてたまるか!」を意味する「負くっか」の思いを貫徹した人生だった。長打力を見込まれ、プロ入りと同時に野手に転向。不器用を努力で克服し、安定感はなくてもガムシャラなプレースタイルでファンに愛された。
大島さんは自身の現役生活を「私には記録という記録はない。中途半端な人間だと思う」と振り返る。それでも、83年に36本塁打で初の本塁打王を獲得したほか、代打としても勝負強さを発揮した。日本ハム移籍3年目の90年には当時最年長の39歳10カ月で通算2000安打を達成。2006年には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の打撃コーチとして世界一に貢献した。
2016年10月に大腸がんと肝臓への転移の診断を受け、「余命1年」を宣告された。その後も自らを「不真面目ながん患者」と表現し、治療を受けながら以前と変わらない生活を心掛けた。「1人ではがんと闘えない。社会とつながっていないと立ち向かっていけない」と、野球評論家としての活動も続けた。
今年6月にはがんが肺にも転移していることを自身のブログで告白していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7542d545c67960a50c17fcfb3a4a0c4920ad721
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Source: ファイターズ王国@日ハムまとめブログ